miyadai第1回「女子が欲しいのはレベル3の承認」

「自画撮りって楽しすぎる!」

きっとそう思っている女子が多いのではないかと思います。
すでに自画撮りはなくてはならないもの、
毎日の習慣になってしまっている人もいるかもしれません。

でも、その一方で「ナルシストなんじゃないの?」といったように
disられ(=批判をされ)たりすることもありますよね…。
果たして、自画撮りは良くないことなのでしょうか?

いや、こんなにたくさんの女子が自画撮りライフを
エンジョイしているのですから、きっと良いことのはず!

そこで、首都大学東京教授で女の子カルチャーにも詳しい社会学者・
宮台真司先生と一緒に「自画撮りのルーツ」や「自画撮りが楽しいワケ」、
「正しい自画撮りの作法」を考えていきましょう。
そうすれば、まわりが何と言おうと、自信を持って自画撮りライフを楽しめるようになるはず。

そう、これは
自画撮りを愛する乙女のための「理論武装」のススメなのです!

さて、アナタはどんなきっかけから自画撮りを始めましたか?
「ゲッカビジン」の調べでは、自画撮りを始める女子には、
大きく分けて次の3つくらいのパターンがあることがわかっています。

(1)目立ちたがり屋さん

もともと自分を人に見せるのが大好きな子が
自画撮りに目覚めたパターン。
憧れの存在は「うしじまいい肉」。

(2)コスプレイヤー

レイヤーさんが、イベント以外のときにも
素の自分を撮って公開するようになったパターン。

(3)ぼっちさん

一人ぼっちが多かった子が、たまたま
自画撮りをしてSNSにアップし、
絡んでくる人たちと交流するようになったパターン。

このように、自画撮りを始めるきっかけや元々のキャラには違いがあります。
ただ、始めた後ですごく楽しい思いをしているのはみんなに共通です。
では、自画撮りとはいったい何なのか、なぜこんなに女子を夢中にさせるのか。

宮台先生に聞いてみましょう。

miyadai_icon4僕は自画撮りという現象をつい最近知ったんですが、とても興味深いものだと思った。
現代の若い世代には変なカルト(=反社会的・狂信的な)宗教にハマったり、
ISIS(イスラム国)の戦闘員になったりするのもいるけど、それに比べたらずっといいことだと思うよ(笑)。
これはね、実はけっこう深い話なんだよ。

今、自分から進んでISISに参加してる先進国の若者がいるでしょ。
その理由についてはいろんな議論があるんだけど、
僕はドイツの社会哲学者であるアクセル・ホネットが言っている『承認論』が妥当だと思っている。

アクセル・ホネット(1949年~)

アクセル・ホネット (1949年~)

著書『承認をめぐる闘争―社会的コンフリクトの道徳的文法』( 法政大学出版局刊)

著書『承認をめぐる闘争―社会的コンフリクトの道徳的文法』 ( 法政大学出版局刊)

ちょっと難しい言葉が出てくるけど、大丈夫かな?
『承認』というのは、人から認められるということだね。

さて、ホネットは『承認には3つのレベルがある』ということを言っている。

レベル1

名前を持った個人として愛され、承認される。

レベル2

権利を認めてもらう。言い分を聞いてもらう。

レベル3

集団や共同体の中で必要とされ、
自分の座席があると感じる。

レベル1の承認はとても基本的なことで、
わかりやすいのは親から愛されるということだね。
これがクリアされるとレベル2の承認に上がる。

レベル2についても、学校や部活動、
仕事などを通してある程度獲得することはできるだろう。

 

問題はレベル3の承認だ。

miyadai_icon2僕は昔、オウム真理教の信者を取材していたことがある。
1980年代の終わりから90年代にかけて、
オウム真理教というカルト宗教にたくさんの若者が入り、
その挙げ句に1995年の地下鉄サリン事件などを起こしたわけだけど、
そういう若者たちが求めていたのがレベル3の承認だった。

地下鉄サリン事件(1995年/平成7年・3月20日発生)。

地下鉄サリン事件(1995年/平成7年・3月20日発生)。

つまり、彼らは『集団や共同体の中で必要とされていない。自分の座席がない』と感じていて、
オウム真理教はそれを与えてくれると思ったわけだね。

それよりもっと前の時代の日本には、
ごく自然な形でレベル3の承認を与えてくれる仕組みがあった。
地域社会(共同体)のつながりがあり、男だけ・女だけのつながりもあって、
そういう中に誰でも『自分の座席』があった。
それは良いことばかりでなく、わずらわしい『しがらみ』でもあったわけ。
それが1980年代になるとどんどん消えていって、
まわりから干渉されなくなるから気楽にはなるけど、
自分の座席もなくなる、という状況になった。

 

miyadai_icon1その状況は、今はもっと進んでいるよね。
『集団や共同体の中で必要とされている。自分の座席がある』と
実感できるようになるのは簡単じゃない。
地域で自分の座席を求めるのは無理。
じゃあ、学校には自分の座席はあるか?
これもまた簡単じゃない。
クラスにいても

『ここは私の居場所じゃない』
『自分は空気みたいな透明な存在だ』

なんて思ったことがある人もいるだろう。
20年くらい前の学校だったら、
女子のグループはクラスで2つか3つに分かれるものだった。
ところが、最近はほんの3、4人ずつたくさんのグループに分かれているよね。
たとえその少数のグループ内で存在を認められていても、
やっぱり『座席がある』とは感じにくい。
レベル3の承認を手に入れるには、
もっとたくさんの人から認められることが必要なんだ。

そんなとき、女の子たちの前に現れるのがインターネットだ。
インターネットとレベル3の承認、
自画撮りがどういう関係になっているのか──少し話が長くなってきてしまったから、
また次回にしよう。

宮台先生の白熱講義、いかがでしたか?
もしかしたら、「確かに私はレベル3の承認を欲しがっているかも」と
思った人もいるのではないでしょうか。
第2回は、自画撮りを楽しむ女子に刺さる
ディープな話が展開されるので、ぜひお楽しみに!

[プmiyadai_icon3ロフィール]宮台真司
社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。1959年3月3日仙台市生まれ。京都市で育つ。
近著『いま、幸福について語ろう 宮台真司「幸福学」対談』(コアマガジン)をはじめ、共著を含めて100冊の著書がある。

 

 

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