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みなさまごきげんよう、ひろこセンセイの美術の時間ですよ。

今回のテーマは「タイトル」です。

最近、みなさん、沢山写真撮るわよね。スマホでパシャパシャ…
現像も要らないし、いい時代です。

さて、あなたの携帯に溜まりまくってるお気軽な日常写真も、
一発でアートのサクヒンに変身しちゃうかもしれない極意があります。

それは、「タイトル(題名)」をつける、って事なの。

もちろん、よーく考えてつけるのが重要よ。
では、「タイトル」の魔法についてお話ししますね。

ここに、毎日ひろこが息子に作ってる、
何の変哲もないお弁当写真があります。
このタイトル、

 

「今日の弁当」2015年 ©OKADA Hiroko

「今日の弁当」2015年 ©OKADA Hiroko

 

だとしたら…? …まあ、普通よね。

さて、タイトルを変えてみましょう。
そうね、何がいいかしら…。

 

「最後の晩餐」2015年 ©OKADA Hiroko

「最後の晩餐」2015年 ©OKADA Hiroko

 

…どう?
急に、変わるわよね…!?

ある鑑賞者なら、こう考えるかもしれないわ。

「この普通の手作り弁当が、最後の…晩餐…? これは何のメッセージなんだ…亡くなった誰かの最後の食事? 高菜めしが最期メシだとすればなんとも残念だ…厚切りのチャーシューがあることが救いか…。いや、読みが甘かったか? もっと暗喩的な表現か…これは親子関係の決裂を意味しており、この家族は今日を限りに崩壊…それは日本の家族制の社会的イシューを訴えて…。ううむ、それとも宗教的メッセージが含まれているとも捉えられるか、この荘厳な教会の中のような暗めの光…この上位に位置するミカン…最後の晩餐…これはなにかあるな…太陽、神、いやキリス…それはイコン…? いやまて、この三角に切った海苔はピラミッドだとすれば…秘密結社フリーメイソン…暗に伝えたいメッセージは、この世界は、巨大な陰謀に支配されていることなのかあああッ…!?」

…こんな風に、意味深に読み解こうという思考が働いてくるものなの。
(ただ、この人の後半の思考はちょっとどうかしらね…考え過ぎ病の処方箋を出してあげたいわ。)

ほんとは、何にも考えずに撮った写真なのに
タイトル命名でこんなに違ってしまうって、
なんだかコワイわよね。

特に現代美術はね、タイトルだけでガツンと芸術になってしまうことも、沢山あるのよ。
例えば、現代美術の初代創業者、マルセル・デュシャンさん(※1)。
彼は、男性の小便器をそのまま展示して「泉」という作品にしたの。
それまでのアートの概念を覆した、歴史的な作品なのよ。
便器が「泉」って名前になって、アート作品だって言われちゃうと、あなたの常識脳がグニャリと混乱しませんか?
そうなら、あなたにも芸術脳のシナプスが繋がって来てしまったっていえるわね。

試しに、あなたのプライベートな日常写真に「タイトル」を命名してみる事をお勧めします。
あらふしぎ、それ、ビジュツサクヒンに、なっちゃうかも!

(続く)

yukokada[プロフィール]岡田裕子
多様な表現形態で社会へのメッセージ性の高い作品を制作。2007「Global Feminisms」Brooklyn Museum、2009「NO MAN’S LAND」旧フランス大使館跡など、国内外の展覧会多数。現・多摩美術大学美術科演劇舞踊非常勤講師。2010年より個人活動と平行して、オルタナティブ人形劇団「劇団★死期」を主宰。夫で美術家の会田誠を顧問とし、多様で実験的なパフォーマンスをプロデュースする。2015年は、東京都現代美術館「ここはだれの場所?」(7〜10月)に”会田家”として参加、また韓国国立現代美術館国際アーティストフェローシッププログラムにて韓国滞在制作・展覧会などの活動を予定。また、この夏、劇団★死期初の小説「ゲンダイチコースケの殺人ミュージアム」を刊行予定。

 

(※1)マルセル・デュシャン
1887年7月28日生まれ。は、フランス生まれの美術家。1917年、『泉』で20世紀美術に決定的な影響を残した。画家として出発したが、油彩画の制作は1910年代前半に放棄した。チェスの名手としても知られた。1968年10月2日没。

 

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